2010年11月08日
丸山弁三郎
私の店の隣に「ちょつ蔵おいらい館」がある。昔の商家を改装して市民の文化活動に提供している施設だが、ここで9日から「松堂 丸山弁三郎展」というのが開かれる。
丸山弁三郎といっても、現在の長野市民はその名を知らないだろうと思う。私もそうであった。たまま私の友人が弁三郎の孫にあたっており、彼からおじいちゃんのことを聞いていたので、興味をもって調べたことがあった。
戦前の一時期長野市長をつとめた人で、それ以前は長野商業の校長であった。市長を辞めた後は国会議員にもなっている。
市長時代の業績がめざましく、現在の長野市のもとを作った人と言っても過言ではないと思う。ブログ「あれこれ南宜堂」にも何回か取り上げてきたが、長野電鉄の長野までの延伸、善白鉄道の開通、中央通りの拡幅、長野市営プールの開設と、市民のために尽くした人であった。私心がなく、市営プールの建設の際にも、市民の体力の向上のためと、水利権を持つ芹田の人々の家を一軒一軒自ら回って、説得して歩いたというエピソードも残っている。
子孫に美田を残さなかったということは、友人の慎ましい暮らしぶりからもよくわかる。市民会館の建設問題で醜態をさらしているどこかの市長とは大違いである。
新聞によると、この展覧会を企画しているのが元長野市史編纂委員である高木寛先生であるという。これも機縁で、高木先生は私の小学校の恩師である。何年か前、取材で市史編纂室を訪れたときに何十年ぶりかで再会し、著書をいただいたことがあった。
多くの市民の方に来ていただいて丸山弁三郎の業績を知っていただきたい。
丸山弁三郎といっても、現在の長野市民はその名を知らないだろうと思う。私もそうであった。たまま私の友人が弁三郎の孫にあたっており、彼からおじいちゃんのことを聞いていたので、興味をもって調べたことがあった。
戦前の一時期長野市長をつとめた人で、それ以前は長野商業の校長であった。市長を辞めた後は国会議員にもなっている。
市長時代の業績がめざましく、現在の長野市のもとを作った人と言っても過言ではないと思う。ブログ「あれこれ南宜堂」にも何回か取り上げてきたが、長野電鉄の長野までの延伸、善白鉄道の開通、中央通りの拡幅、長野市営プールの開設と、市民のために尽くした人であった。私心がなく、市営プールの建設の際にも、市民の体力の向上のためと、水利権を持つ芹田の人々の家を一軒一軒自ら回って、説得して歩いたというエピソードも残っている。
子孫に美田を残さなかったということは、友人の慎ましい暮らしぶりからもよくわかる。市民会館の建設問題で醜態をさらしているどこかの市長とは大違いである。
新聞によると、この展覧会を企画しているのが元長野市史編纂委員である高木寛先生であるという。これも機縁で、高木先生は私の小学校の恩師である。何年か前、取材で市史編纂室を訪れたときに何十年ぶりかで再会し、著書をいただいたことがあった。
多くの市民の方に来ていただいて丸山弁三郎の業績を知っていただきたい。
Posted by 南宜堂 at 10:44│Comments(0)