2012年07月25日

イヨイヨ

チラシができて、本屋さんに配られるといよいよという気がします。と同時にものすごく不安にもなってきます。松代はその道の専門家が多数おられ、その方達に見られるかと思うと恐ろしい気がします。
とはいうものの、もう今更どうなるものでもないし、大家の皆さんと比較するのは申し訳ないのですが、井出孫六さんの佐久間象山も奈良本辰也さんの恩田木工も松代の外の人の書いた松代です。開き直るしかないでしょう。
そんなわけで、少しだけ宣伝をさせていただきますと、松代とゆかりのない方が読んでも楽しめる内容を心がけました。前史は山本勘助の縄張りによって作られた海津城とここを舞台に繰り広げられた川中島の戦いの話、そして海津城主であった捨て童子松平忠輝のこと。
本編では真田幸隆から、昌幸、信之、幸村の真田一族の歴史、そして松代藩の窮乏と恩田木工の改革、松代藩は日本で一番貧しかった藩だそうで、江戸詰の藩士などは米を買うにも苦労したようで、暗くなってから提灯をぶら下げて、袋で米を買いに行ったので、江戸の人々からは松代藩の提灯袋米と馬鹿にされたといいます。また、足軽のストライキという不名誉な日本初の記録もあるほどです。
どうしてこんなに松代藩がまずしかったのか、また恩田木工はどんな財政再建策をとったのか。それは本書をお読みください。間違っても増税などということはしなかったようです。
幕末になると佐久間象山という傑物が松代に生まれました。評判になったテレビドラマ「JIN」では象山は未来を見てきたという設定になっていましたが、まさに独学であらゆる知識を吸収し、実際にそれを作ってみたのだといいます。象山神社近くにある象山記念館には象山自作の電信機や写真機が展示されています。ちなみに、象山神社も象山記念館も「ぞうざんじんじゃ」「ぞうざんきねんかん」が正しい読みです。間違っても町内の人に「これはしょうざんと読むのですよ」などと言ってはいけません。信州では「さくまぞうざん」が正しい読みなのです。
明治維新後は「富岡日記」の和田英、女優の松井須磨子といった新しい時代を切り開いた女性が松代から出ています。
最後に老婆心ながら、松代の読み方は「まつしろ」です。時々新潟の方で「まつだい」という人がおられますが、これは間違いです。待つ城、松平の城から城の名は付けられたそうですから、まつしろが正しいのです。



Posted by 南宜堂 at 23:51│Comments(1)
この記事へのコメント
いやー、楽しみっす。発売はいつになるんですか?
Posted by つん堂 at 2012年07月26日 17:09
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