2013年05月18日

5月18日

寒暖の差が大きく。なかなか初夏の陽気にはなりません。今日も店にいると肌寒いくらいでした。久々に店にお客さんが絶えることなく、パソコン作業が進まない一日でした。悪い癖はついお客さんと長話をしてしまうことです。
ひと月ほど前、地元の新聞社に勤めるMさんに「松代藩」の本を買っていただいたのですが、本日お見えになり、面白かったと言っていただきました。書いた本人を前にまさかつまらなかったとは言えないでしょうが、誉めていただくのはありがたいことです。松代藩の本に「山本覚馬」の名があったことに驚かれていたようですが、覚馬は象山の弟子ですし、彦根遷座計画にも広沢安任とともに深く関わっていた人物です。
「八重の桜」を見ていると、突然に象山塾が出てくるのですが、松代から象山が江戸に出て洋学の塾を開くに至った経緯がどうもわからない。信州人のMさんとしては象山についてもっと突っ込んで描いてほしかったのだと思います。そこのところが私の本にはていねいに書かれていて良かったということでありました。会津藩中心の物語ですから、真田幸貫が老中に就任し、象山に外国事情を調べさせたというようなことは描ききれないのでしょう。
皮肉にもこれから松代藩は大砲を引きずって会津まで行くわけです。そして小田山にその大砲を据えて鶴ヶ城を攻撃するのです。象山の死後松代の藩論を指導した長谷川昭道は尊王主義を貫き、大政奉還にもいち早く賛意を示すのです。象山が生きていたらこうはスムーズに事が運ばなかったことでしょう。
象山暗殺の陰に松代藩の派閥争いがあったというのもあながち根拠のない暴論とはいえないのではないかと思います。



Posted by 南宜堂 at 22:03│Comments(0)
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