2012年11月29日

猫の忠信

ラジオで「猫の忠信」という関西落語をやっておりましたが、ここに「難波戦記・真田の抜け穴」という講釈を聞きに行ったというようなことがありました。「難波戦記」というのは大坂の陣を題材にしたもので、「真田三代記」の元になった話だということであります。どちらかというと徳川方に贔屓したものなのだそうですが、それにしても大坂の陣を題材にした講釈が演じられていたということです。
この落語「猫の忠信」の下敷きとなっている話は歌舞伎や浄瑠璃で有名な「義経千本桜」なのですが、これまた江戸時代には庶民の娯楽としてもてはやされたようです。能、歌舞伎、講談、下っては立川文庫まで、大衆にとっての歴史は娯楽とほとんど紙一重のようなものだったのでしょう。
歴史学という学問が確立された現代において、江戸時代のような娯楽としての歴史はなくなってしまったのかというと、それが結構しぶとく生き残っているようです。例えば先日紹介した雑誌の「歴史街道」です。真田特集のキャッチコピーは「家名か武名か漢の意地か 六文銭の旗を掲げ、兄弟それぞれの戦いに挑む」とありました。関ヶ原の戦いから大坂夏の陣までの真田の歴史を、こういう主観的なしかも一方的な言葉でまとめてしまっていいものなのかどうか、私などは大いに疑問に思います。また、幸村が大坂夏の陣で最後の決戦に臨もうとする朝、江戸にいる信之は弟に語りかけます。「いよいよその日が参ったな」と。しかしよく考えれば携帯電話もない時代に、どうして大坂にいる弟の行動を同時進行で知ることができるのでしょうか。「そこは「以心電信」心を電波に乗せて伝えたのよ」などと落語的な解釈をするのが粋なのかもしれません。
軍談家や講釈師や戯作者、現代では小説家などもその仲間に入るのかもしれませんが、こういった人たちが脚色した歴史の方が実証的な歴史よりは数段面白いのも確かです。私たちは司馬遼太郎が脚色した坂本龍馬や土方歳三、池波正太郎が脚色した真田幸村や信之を以て歴史を語っているようなところがあります。
通俗の歴史をフィクションと知って娯楽として愉しむ分には罪がないわけですが、そこに「歴史にまなぶ何々」などと付くと「ちょっと待ってくれよ」ということにもなります。
最近評判の「日本維新の会」なる集団、維新八策なるものを掲げているようですが、坂本龍馬の「船中八策」と紛らわしくて警戒してしまいます。この「維新の会」の二人の親分が明治維新や昭和維新を念頭に世直しを考えているのだとしたら、面白がるだけではなく、実証的に歴史を学んで。維新なるものが何をもたらしたのか、しっかりと見極めなければいかんとも思います。
猫の忠信




Posted by 南宜堂 at 23:21│Comments(0)
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