2012年11月28日

歴史好き

新刊の書店に行くと来年のカレンダーや手帳のコーナーができていて、今年もわずかになったことを実感します。手帳のコーナーには歴史手帳なるものが何種類か並んでおりました。老舗の山川や吉川弘文館のものや作家の名前を冠したものまであります。歴史愛好家を自認する私ですが一度も買ったことがありません。
歴史雑誌もまた、大学の教科書のようなものから通俗的なものまで、実に様々です。一口に歴史と言っても、それを専門に研究している人からゲーム感覚で楽しんでいる人まで幅は広いようです。かつては山岡荘八や司馬遼太郎のように、企業の経営者が好んで読んでビジネスの参考にしたというようなこともあったようですが、今や歴女なる言葉に代表されるようにもっと広い層の人たちが歴史に親しんでいます。

松代藩の初代藩主であった真田信之は関ヶ原の戦いの後六十年近くの歳月を生きました。しかも死ぬ前年まで現役の藩主でした。本人は早く引退することを望んでいたようですが、幕府がそれを許さなかった。将軍がまだ幼少であるということを理由にとものの本にはありますが、それよりも幕府が真田の取り潰しを狙っていたからだろうとうがった見方もあるようです。しかし信之に後継者がなかったわけではなく、取り潰しを狙っていたという根拠は薄いような気がします。
一説には数々の戦を経験した信之の武功談を聞くのを楽しみにしていた大名や幕閣が多くて、なかなか隠居できなかったとも言われています。これはなかなか面白い見方だと思います。信之は関ヶ原の戦いには徳川秀忠の軍にいたはずですから、遅参したわけで戦いには参加していないでしょう。大坂の陣にも病気を理由に参陣していません。代わりに息子たちを派遣しています。一番の戦いといえば何と言っても徳川家康軍を追い払った第一次上田合戦ではないでしょうか。
家康を破った手柄話を江戸城でおおっぴらにできるわけではないでしょうが、平和が続いて武士たちはどうもそれに倦んでいたようにも思えます。「薄櫻記」というテレビドラマを見ていても、元禄の世では中山安兵衛の決闘の話などがもてはやされていて、この後起こる赤穂浪士の仇討ちが評判になったりするのです。
「真田三代記」があらわれるのは信之の死後のことですが、江戸時代も中期になると真田幸村の伝記が松代藩で堂々と書かれたりします。昌幸も幸村も松代藩の誇りとして語られるのです。
歴史好き



Posted by 南宜堂 at 23:33│Comments(0)
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