2012年06月15日
原点が存在する
夕刻、谷川雁の「原点が存在する」を買われたお客さんがいました。今時俊太郎ならともかく、谷川雁を読まれる方は少ないのではないでしょうか。一緒に「試行」を出していた吉本隆明は先ごろ亡くなりましたが、1991年に亡くなった谷川雁については、その晩年ほとんど語られることはなくなっていました。
生前の谷川さんに一度だけお会いしたことがありました。その頃谷川さんは黒姫高原で作家のC.W.ニコルさんらと宮沢賢治の詩を英訳する仕事をされていたと思います。お会いしたのは長野市内の喫茶店で行われたその集まりの時でした。若い頃の詩や文章から荒々しい人を想像していたのですが、長身の物腰の柔らかい人でした。
「原点が存在する」の中にこんな一節があります。
「『段々降りてゆく』よりほかないのだ。飛躍は主観的には生まれない。下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちるところへ、そこに万有の母がある。存在の原点がある」
谷川雁の後半生を変節という人がいます。上京してからの谷川が会社の重役におさまったことを批判してのことでしょう。若い私はそんな風なことを直接谷川さんに言ったように覚えています。谷川さんの詩と谷川さんの印象があまりに違ったというようなことを。谷川さんは苦笑していましたが。
「花咲かぬ処」とか「暗黒のみちるところ」というのを現象の面だけで捉えるとそんな批判になるのでしょう。或いは「あさはこわれやすいがらすだから 東京へゆくな ふるさとを創れ」という詩の一節、東京へ出た谷川さんを変節だなどと思っていた当時の私は現象だけしか見ていなかったのだと今になって思います。
とにかく私も年だけは取りました。そろそろ谷川さんの亡くなった年に近づいてきました。「存在の原点」を掘り下げる仕事ができたのか、そんな思考が身についたのか、何とも心もとない日々です。

生前の谷川さんに一度だけお会いしたことがありました。その頃谷川さんは黒姫高原で作家のC.W.ニコルさんらと宮沢賢治の詩を英訳する仕事をされていたと思います。お会いしたのは長野市内の喫茶店で行われたその集まりの時でした。若い頃の詩や文章から荒々しい人を想像していたのですが、長身の物腰の柔らかい人でした。
「原点が存在する」の中にこんな一節があります。
「『段々降りてゆく』よりほかないのだ。飛躍は主観的には生まれない。下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちるところへ、そこに万有の母がある。存在の原点がある」
谷川雁の後半生を変節という人がいます。上京してからの谷川が会社の重役におさまったことを批判してのことでしょう。若い私はそんな風なことを直接谷川さんに言ったように覚えています。谷川さんの詩と谷川さんの印象があまりに違ったというようなことを。谷川さんは苦笑していましたが。
「花咲かぬ処」とか「暗黒のみちるところ」というのを現象の面だけで捉えるとそんな批判になるのでしょう。或いは「あさはこわれやすいがらすだから 東京へゆくな ふるさとを創れ」という詩の一節、東京へ出た谷川さんを変節だなどと思っていた当時の私は現象だけしか見ていなかったのだと今になって思います。
とにかく私も年だけは取りました。そろそろ谷川さんの亡くなった年に近づいてきました。「存在の原点」を掘り下げる仕事ができたのか、そんな思考が身についたのか、何とも心もとない日々です。

Posted by 南宜堂 at 00:32│Comments(0)